木々は年を取るほど年輪を重ね、ますます成長する。年を取って衰えることはなく、ただ成長するだけである。ときに外部からの要因によって切られたり倒れたり枯れたりする。しかし、そのようなアクシデントがない限り、ただただ成長するのみで、いつかは終わりが来ることなど思いもしない。動物も木々に近く、ただただ食べて生きて子孫を残して、いつかは終わりが来ることなど思いもしない。
終わりが来ることを気にしているのは人だけなのかもしれない。成人を迎えた後はゆっくり衰えることを待ち、見た目が老けていくことを嘆き悲しむ。木々の生き方とは正反対である。いつまでも若さを保ちたいと思い、人為的に作られる見た目の若さを維持しようとする。過去の記憶にすがりつき、明日の自分を心配する。自ら命を絶とうともし、終わりが来ることを望もうとするのも人だけである。人は現実から離れて生きることができず、現実と夢とを切り離す。夢はひと時の儚い幻想に過ぎず、目が覚めた時には自然に消えていく。
現実と夢を切り離しているのは想像することを止めた心である。人は木々や動物とは違う。想像力は現実逃避の機会を増やすかもしれないが、想像することを止めたら、人は無機的になる。決められたこと、与えられたこと、教えられたこと、経験したことなどに従順になり、そこに想像力を働かせることはなくなる。このことが、終わりが来ることを意識する人を作り上げる。
人は年を取るほど想像力を働かせるように生きるとよい。人の成長は身体にはなく想像を生む心にある。現実も元は想像したことから派生したことに変わりない。想像によって社会一般的な物語を信じ、本来の想像性を忘れていく。人が成長させるべき想像力は、誰しも生まれたときに持っている愛の想像である。愛の想像は年を取るほど対象とする範囲を広げる。恋愛、友愛、慈愛など人を対象とした愛から、自然、地球、宇宙などを対象とした愛へと発展していく。人は年を取るほど宇宙不変の愛に近づいていけば、自分が自然という霊に抱かれていることを想像できるようになる。このことは年を取るほど衰えることもなく、人が木々と同じように永遠に成長していく糧となる。